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2013年10月 7日 (月)

某救助の件ですが、どうなんでしょうか?

老人を助けて命を落とした女性の件が取りざたされておりますが、目の前で娘に死なれたら、親であれば自分を責めるのではないでしょうか? 

あの時自分が止められていたら、娘は死なずにすんだのかもしれない。

おそらく彼女の父親は、死ぬまで自分を許せないんじゃないかな。亡くなった娘さんはそこの所を考えて行動出来なかったのかなぁと思ったりします。

助けた事は美談として取り上げられていますが、一説によると老人は自殺だったのではないかとの話もあったりします。真偽の程はわかりませんが、もし、本当に自殺するために老人が遮断機が降りた踏切に踏み込んだとしたら、それは美談なんだろうか。

日々、高齢者と接していて思うことがあります。

長く生きていることは決して幸せではない。

早く死んじゃいたいという言葉はしょっちゅう聞いています。介護されることを負担に感じている人、若い人に迷惑をかけているくらいならさっさと死んだほうが良いと思っている人、先に希望が全く見えないから生きていても仕方が無いと思っている人。とにかく色々ですが「早くお迎えが来ないかなぁ」ってのが多いです。

そりゃそうだ。体は思うように動かなくなってるし、出来ることも減ってるし、家族からは厄介者扱いされてる事が多いし。皆さん、生きててもつまらないからなぁ、などと笑っていますが、顔で笑っていても、多分これは本心なのだと感じます。

だから、高齢者の自殺って、かなり考えての事だと思うのです。原因はなんであっても。

そう考えると、自殺しようとした老人を助けた場合は、助けた人が老人に重い枷をつけてしまったということになります。個人的には死のうとしていた人がそれで生きる気力を取り戻すとは思えないんですが。死んでお詫びしようといったことにならないだろうか。

自殺を図る人は繰り返しそれを行う傾向が強いので、カウンセリングでもかなり慎重に扱われるような状態です。

自殺しようとしていたということを除いても、以下の事実に対して助けられた人はどう思うんでしょうか。

自分を助けたばっかりに人が死んだ。

これって耐えられるんでしょうか? 

思い悩んで自分を責めるだけだと思うんだけど。死んでしまった人の代わりに生きなきゃとは、恐らく年齢的にも前向きには考えられないだろうな。精神的に保たないんじゃないだろうか。

ちなみに、遮断機が降りた際に立ち入ることは二重事故を起こす可能性があるので、本来ならば危険行為であり、このように賞賛されるものではないはずです。

って、こんな事を堂々と書いていたら人非人とか、えらいバッシングが来そうですね(;´▽`A``

でも、敢えて書きたい。

本当に美談なんでしょうか?

人を命懸けで助けた行為は賞賛されるものですが、それはあくまでも自分が生きていてのことです。死んでしまった場合は賞賛されるべきではないと思います。だから、美談とされている今の状況は、何だか薄ら寒い気がして仕方がありません。

だって、自分のエゴでしょ? 自分が助けなきゃって思ってでしょ? 他の事は何も考えていなかったってことでしょ? それを他人が神輿を担いで盛り立てるってどうよ?

テレビのニュースだと美談しか見えない。マスコミの報道が何だか一方向からしか見ていない。つまり、世間がそういった見方をしているということ。

少し考えた方が良くないか? と思います。

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