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2011年4月 8日 (金)

読んでいて思い出した事

昨日のブログで書いていた真面目なルポ。児童虐待のルポだったんですが、それを読んでいて思い出した事がありました。

小学校2~3年の頃に2年ちょっといた家なのですが、裏の鎮守の杜を抜けると、その真向かいに児童養護施設がありました。いつも子供がいっぱいいて賑やかで「何であそこにはいつも子供がいっぱいいるんだろう」と思っていた記憶があります。近所の叔母さんや母が施設なんだよねと話す時の表情は何だか暗かった。

小学校でも施設の子達はクラスで浮いていました。多分、これは、子供社会の中でも偏見があったんじゃないかと思います。施設の子供達のどこか異質な空気を感じ取って、自然と退いていた部分も大きいかな。

今考えてみたら、彼らは各々事情があって親元にはいられない子供達だったから、周囲の大人は同情や奇異の目で、子供達はそんな大人の様子からと施設の子供達から自分と違うものを感じ取って、彼らを避けていたのかもしれません。

人は異質なものに対しては敏感です。そして避ける。目を背ける。自分を納得させる。それは普通じゃないからと。……普通って何だろう?

時代や背景でも、人それぞれでも、普通って認識しているものが違います。だけど、みんな普通っていうのを笠に着て、さも当然のようにしてたりしますよね。

貴方には普通かもしれないけれど、自分にはそれは異常な行為なんだが……などとは言えずに自分の意思を黙殺する事って多いよなぁって思いませんか。

昔から一つだけどうしても許せない事があります。老人や障害を持った人に対して、人が子供、しかも赤ん坊に話すような口調で会話をしようとすること。どういうわけか、そういう場面を見ると煮えくりかえる程に腹が立つ。これ、物心がついた頃からなので、多分、幼い頃にそんな場面に出くわして嫌な思いをしたんだろうなぁと思います。

そのような口調で接する人は見る部分が違うんだと思う。「可哀相」というファクターを持ってしまっている。普通じゃないから可哀相? じゃあ、普通って何よ? 

子供の頃に施設の子供達に持った気持ちは、多分この「可哀相」っていう見方が入っていたんだと思います。でもさ、本当に見ないといけないのはそこじゃないよね。きちんと接する事なんじゃないかなと、今では思います。……子供の頃は恐らくそこから逃げてたんですね。何か思い出して痛いなぁとか感じています(^_^;)

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